保育園受かりました宣言

宣言しておかなきゃ自分がフヨフヨのヒヨヒヨになってしまうのでちょっと記事にしておこうと思う。

 

保育園受かりました。娘が1歳になったら私は娘を保育園に預けて職場復帰する。

 

正直、めっっっちゃくちゃ嫌。可愛い可愛い可愛い娘と離れるなんて考えるだけで涙が出るし実際保育園受かったよの通知が来たと聞いた日はベッドでめそめそと泣きながら眠ったよ私は。

 

現在育休を取得していて、通常子供が1歳になるまでは休めるよーってやつ。保育園に入れなかったとか病気になったとかの理由があれば2年まで延長可。逆に保育園入れるなら1年で復帰するしか選択肢はない。育休を取得することを決めるのは(当然)子供が生まれる前、妊娠中である。(いや産んでから考えてもいーよ!みたいな会社あるのかな。あるのかも。まあ大体は産む前に本人が決めます)

(※産休と育休は別。産休は実際に産む前後数週間ずつのお休み。産休は義務なので絶対休まなきゃいけないんだけど産休以降の育休は選択できる)

産んで育てていくうちに「えー1歳で預けたくない」「2歳ないし3歳まで子供を見たい」と思っても育休を取得すると言ってしまったばっかりに子供のそばに居ることができない……。私はまさにこれでもともと子供を熱望していたわけでもなかったし預けるのが当然だろうと二つ返事で育休取得を決定してしまったのでした。

まあその時点で私が退職すると家計がヤバいぜという部分が大きかったんだけど、それでも、それでも、子供とこんなに毎日一緒にいられるのは本当に今だけなので、あーなんで軽率に仕事を続けるだなんて言ってしまったんだろうと思ったりでも当時の感覚で考えれば妥当な決断であり誰も悪くなかったのだしと思ったりもうとにかく頑張るしかないとひたすら言い聞かせたりまた泣いたり、娘は母がこんな葛藤をしているとは思いもしないからいつも通りニコニコの笑顔を振りまいてくれてさらに涙腺が……ウッ……。

 

ツイッターにも書いたけど1歳といえばまだ授乳中で、離乳食も完了してない時期。基本的な育休取得のラインを、3歳とは言わない、2歳にすれば良いのに。2歳なら離乳食から幼児食に移行しているし、1歳超えてから卒乳するまでの余裕もある。オムツはギリギリ取れないけど(オムツを考えると3歳がベストなんだろうね)、食は大事じゃん、と私なんか思ってしまう(食いしん坊なので…)

 

(余談ですが公務員だけは通常3年の育休を取得することが出来ます。←これまじでなんでなんですかね?)

 

ともかく保育園受かってしまい(正直、落ちたかった。落ちますようにと願っていた。本当に保育園に預けて仕事したい人もいるんだから落ちますようにはおかしいと言われるかもしれないが、そもそも子供を何歳で預けるかの選択が出来ないことがおかしい。)、娘を1歳で保育園に預ける他ない。ないの。ないの……??めそめそ。

 

育休っていうのは復帰を前提としたお休みなので復帰するのが当然なんだけどシステム的に育休取得するだけ取得して復帰せず辞めることも出来てしまうわけですよ。手当貰うだけ貰って辞めちゃおゲヘヘ、みたいな人もいるらしいけど、私にはちょっとそれは無理です…。

 

 

 

娘は私がいつも一緒にいると思っているのに何もわからないうちに前触れもなく私のいない世界(保育園)に連れて行かれるのだと思うと、その時の娘のことを思うと、ベリベリベリと心を引き剥がされるような痛みが……ウッウッつらい。

まあこれもただの私の勝手な感覚で、最初は泣くだろうけど、保育園に馴染んで行くのだろう、馴染まないにしても過ごしていけるようになるのだ。

 

フヨフヨのヒヨヒヨの私は、一生のうちで今だけの毎日ずっと一緒に居られる日々を噛み締めながらあと半年、全力で愛を伝えていくぞ。

フヨフヨのヒヨヒヨだけど、愛だけは強靭なもんだし!

 

 

 

9/27

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煙草を吸う夢をよく見る。自分でも意外で酒じゃなくて煙草の夢、吸ってからしまったと思う夢。逆にべつにどうでも良かったから煙草なんだろう、とかまあそれこそどうでも良いことを思ったりする、夢を見たからって実際煙草を吸うわけでも吸いたくなるわけでもない。ただそれだけでそれで終わり。
意識を失うように眠ることが得意になった、限界まで酒を呑んで気絶するように眠ることはよくやったし最近は限界まで起きておいて落ちるように眠っていたけどそうじゃなくて「寝よスイッチ」で眠れる、私は酒がなくても眠れるのね〜という感動…。一瞬で眠って一瞬で起きられるシステム、便利。自分がこう、なんとも上手いこと出来ている人間なのだと気付いてしまった。生きるの上手なのでは?これまで微塵も感じたことのなかった気持ちすら生まれる。生きるの上手なのでは?いやさすがにそれはないよね〜はははは〜。まじで?まさかね〜。まあ生きるの上手いとか下手とかは置いといてスイッチは自分で作れるし自分で押せる、必要とあればいつでも、無理なことなんてひとつもない、だって私が私の神様なんだし。
煙草なんていつでも吸えるしいつでも辞められる、酒はちょっと無理かな、でもちょっと高めの酒を程よく呑むとかは多分出来る、なんかよくわからんけど無茶な遊びなんてもう要らないし、無駄な人間関係も。
いつかの死にたいと思っていた私、誰からもぼろ切れのように扱われた私、世界が平和になりますように、世界中の人が優しく幸せになりますようにと願った私、少なくとも私の両腕の届く範囲は死ぬほど優しい世界になったと思う、愛すべき守るしかない世界、例えばたまに限界まで酒を呑んで気絶するように眠ったとしても私を起こしてくれるもしくは起こさないでいてくれる人がふたりもいるのすごいね。息を吸うようにそこにある世界。まじかー。まじなんですね。


とか私の身体の上ですやすや眠る娘を眺めながら思う、秋の風と光が気持ち良くてホームパイロイヤルが美味い。私の手元に煙草はない。私の選んだ世界、いい世界だなー。娘に望むことは健やかにあれぐらいで特にないんだけど、酒呑めれば良いなあ。私の肝臓持ってってくれてたら良いな。

午前4:31

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寝れない。
3時ごろに目が覚めたら寝れなくなった、最近はこういうことがよくあるがまあよくあることなのであまり気にしないでいる。明日仕事なわけでもないし。寝れなくても気にならない、仕事がないって素晴らしいですね。だって眠ければお昼寝すれば良いんだもの、うとうとしても誰も怒らないし優しい世界だね。


今週にはもう福岡に帰るんだけど正直旦那さんと離れるのが寂しくて仕方ない。1ヶ月は
会えない。え?マジで?私のかたわれと?1ヶ月も??会えない???ゲロ寂しい………………。
旦那さんと離れていた期間って付き合って入籍するまでの3ヶ月のあいだで初めて会うまでの1ヶ月とすこしが最長で、それから入籍までも何度か会って、入籍してからはず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと一緒にいるのでマジでこんな離れることないんですよね。不安〜〜!


とは言ってもね、酒が飲めなくなって眠れるか不安だったけど全然眠れるしアル中じゃなかったことが証明されたりなどしたし、全然強く生きていけると思うんですよ、寂しかろうけども、生きていけるし、1ヶ月なんてすぐだし、1ヶ月なんてすぐだし。大丈夫。
昔の私ならゲロ吐いてるくらい嫌なんだけど、ゲロ吐かない。私、強くなったな〜!とか思ったりするけど、別段弱々しい人生を歩んできたわけでもないし、もう色んなことされたししたし、いまの私がこうあるのは当然の結果のような感じがする。


明日、仕事だろうと仕事じゃなかろうと、眠れないことで鬱々することはもうきっとないし、夜中にひとりで起きても苦しくてつらいなんて気持ちになることはもうきっとなくて、白んで行く空を見て煙草を吸ってため息を吐いたりとかそういうのはまたいつか、またいつかあっても良いかもしれないけど、しばらくは会うことはないだろうな。それを寂しくも思うけど、それよりももっとずっとずっと幸福な世界にいるので、私は大丈夫なんだと思う。

休息

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だらだらが許される時間を手に入れてしまった、その名も「産休」である。


産休だって!私の人生に産休なんてものが挟み込まれることがあるんだって未だに笑ってしまうときがある。産休だってさ。つまりいまこのお腹の中でキックパンチを繰り返す子を産むためにお仕事のお休みをいただくわけです。


昨日、7月2日に仕事を納めて今日から産休を駆け抜けることになるわけだけど、正直現時点では「え?明日も休み?明後日も?休み?マジ?」という具合で産休を満喫できているとは言い難い。今日は普段の休日と変わらず掃除、洗濯をして、カポナータを仕込み、パンを焼いた。明日なんしよ?正直やることがない。まあ産休初心者だから仕方ないよね。きっと産休をモノにする前に子は産まれ、あれよあれよという間に育休の1年も過ぎてゆくのであろう未来が、こう、ありありと見える。別に「何も気にせず休んでくれ!これはご褒美だよ!」っていうタイプのお休みではないんだしわかってるよそんなの。ただただ、労働をするにはあまりにも過酷な状況にいま私の身体の中はね、なっているから休まざるを得ないのよね。内臓めちゃくちゃやで。妊婦やってのけてることを褒めて欲しいね。妊婦様と讃えて欲しいね。世界中でそんなことしてくれるの、旦那さんだけだよ。あ〜〜〜いい旦那さんもらった。いい人生だ。
そもそも産休はだらだらゴロゴロするためにあるようなものなので「やることがない」なんておろおろする必要などないのだ!堂々とだらだらゴロゴロしてやれば良い。これまで私の人生にこんな瞬間があっただろうか…1年以上働かないなんて、精神病院の閉鎖病棟に入院していたとき以来では!?尊い尊いよ…
いくら働かなくて良いといっても閉鎖病棟じゃあ精々庭のモルモットを追いかけるくらいしかやることがなく、年配の看護師にストレスをぶつけられるしやかんのお茶を飲み過ぎただけで怒られるし、それを思うと今マジで尊い時間を得ていると思う。つかの間の休息。
心置きなくだらだらゴロゴロしてる間にも圧迫される内臓。お腹はすくが決して食べ過ぎてはいけない。水分も取り過ぎてはいけない、しかし適度に補給してね…運動も適度にね…でも動き過ぎてはダメよ…
アーーー難しい!妊婦難しいよ!しかしそれすら尊い〜〜!


ところでこんなこと(妊娠出産)でもないと福岡に長期的に帰ることなんてまずないので1週間後には里帰りの予定で、旦那さんは「友達にたくさん会っておいでね!」と言ってくれてそれに対して私は「もともと友達少ないうえに福岡出ちゃった子多いしそんな会う人いないよ」と言っていたんだけど県外から会いに来てくれる子が数人いるようでうわあ!私愛されてる〜って思いました。愛されてるね〜、私。


ということで基本的に努めてゴロゴロする期のはじまりですよ。いいですね。

訣別の意味

https://www.instagram.com/p/BU_mMkTjdRG/

 

二十九で結婚するまでにいろんなことがあった、いろんなことがあっていろんな人やものとさよならしてきた、振り返るとろくでもない人生ででも今こうやって毎日(多少の上下はあるにしても)楽しく幸せに暮らしているのだからああろくでもない人生やってきてよかったなとか思ってしまう、本当に本当にろくでもない人生、今の私を創り上げたろくでもない人やことやもの、全部幸せになってくれとどうしても思ってしまう。みんな幸せになってくれ、私の手の届かないところでさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さみしい夜はなくならないから酒吞んで寝よう

https://www.instagram.com/p/BSYpcAWDJ4a/

 

愛に満ち溢れて生きている。

 

 

三十年の人生を振り返ってみてよくもまあこんな幸せを手に入れたなと思う くらい今はとても幸せな毎日です。携帯取り上げられたりボコボコに殴られたり人格否定の言葉を毎日浴びせられたり最初から最後まで嘘で作り上げられていたり守られたり突き放されたりの繰り返しだったりネトストされたり、そのほとんどで金を無心されたりね。今考えても本当にドクズどもばかりやんけ。相手からしたら私もドクズだったのかも知れないけど。でも私はドクズどもですら傷つけたくなかったから一生懸命やってきたわけですよね菩薩としては、菩薩として一生懸命やってきて結果ただのボロボロのボロクズにされ続けてへろへろになったところに現れたのがだんなさんでありました。

 

だんなさんとはツイッターでずっと相互フォロワーだけど会ったこともなくツイッター外でやりとりすることもほぼなかったんだけどほんのちょっとしたきっかけで連絡を取り合うようになり結婚する流れとなったわけで共通のフォロワーから「え!?いつの間に!?」みたいな声をよく頂いた、正直いつの間にもなにもない感じでもう、本当に、流れるように結婚に至ったのですよ。目まぐるしく三ヶ月過ぎ、福岡を出て長野に嫁に来た。あっという間に一年過ぎて今に至る。最初からなぜかちょっとの不安もなかったけど一年経っても最高の毎日を送っている、素晴らしき日々である。博多に比べると本当になにもない町だけど、町のまんなかにぽっかり湖があってエモい。私はなにもないことが嫌いじゃないし、運転免許なんて持ってなくてもアホみたいに歩けるし、不便だなと感じることはなくもないけど嫌だなと思ったことはない、いい町だ。だんなさんには毎日愛情を注がれて私もだんなさんといて楽しいし嬉しいし、嫁姑問題なんてないし、うちの親は新婚旅行にバイクで長野に来たような人たちで長野が好きだし、なんなら母とお義母さんも仲良しだしもうなんの問題もない。

 

そんで、そんな感じの毎日を一年送って気づいたことがある。

 

どんなに満ち足りていてもさみしい夜はなくなんない。

 

え、本当に不思議で、これまでは酷い生活をして来たから情緒不安定もそりゃそうだなって感じだったんだけどこんなに満ち足りた生活をしていてもさみしくなることってあるんやね、毎日だんなさんが帰ってくるのにさみしいとはこれ如何に、でもさみしくなるもんはなるんやよね、マジで不思議、最初の頃はなんで!?とか思っていたけどもうさみしくなるもんは仕方ないしそういうもんなんやなあってなってるけど。

ちょっとさみしいなってなるとそれがどんどん増えていくんやよね 、面白いくらい、増える。そういうとき、というかまあいつもやけどお酒吞んで、寝るに限る。

 

私は毎日お酒を呑む。さみしくてもさみしくなくてもお酒を呑む、この辺で作られてるワインだったり日本酒だったり九州から送られてくる芋焼酎だったり安ワインだったりウイスキーだったりまあなんでも呑む。そんで寝る。寝て朝になる。起きたらだんなさんが寝てる。それでいい。それがいい。それがまたいい。

 

さみしいはつらい。悲しい。でも仕方なくて、あるもんはあるもん。仕方ないもん。お酒吞んで、寝れなかったら寝れなかったとき。そんときはそんとき。べつにいいや。幸せだし。とりあえずお酒吞んで寝よう。

習字

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小学生の頃に初めて習い事をずる休みしたときのことを覚えている、金曜日の夜の習字の日でその日は私が初めて寒いことが「痛い」と感じた日だった。自転車のハンドルを握る手がめちゃくちゃに痛かった。「具合が悪いから習字を休みたい」と言ったら母親は「寒いから行きたくないんでしょう。いいよ、休みなさい」と言った。学校に行くにしても朝に行きたくないからとぐだぐだ熱っぽい気がする、なんて言っても「馬鹿言ってないで早く用意していきなさい」とあしらわれていたのでまさか休んでいいなんて言われるなんて、しかもずる休みだとばれた上で、なんて拍子抜けした。それまで習い事も学校もずる休みしたことなんてなかったし、なんだか嬉しいより面白かったみたいな気持ちが大きく残っている。

 

私は寒いのが嫌いだったんだ。

 

 

 

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下手すればでっかい湖が凍るくらいの寒い冬を毎年やっちゃうみたいな土地に住んでもうすぐで一年経つ。春に来て、初めての冬。最高気温四度しかないのに「あったかいね」「もう春だね」と人は言う、春物の洋服を買う、雪が舞っても風が吹かなければあたたかい。庭ではなにかの花の芽が伸びているし、なんなら花も咲いている。植物は強い。私は寒い。まだ寒い。

 

私が来たときにいた猫がいなくなったのは秋で、まだ仕事がなくて家にいる時間が多いときもずっと猫がいたし、たまに短時間の仕事に出るようになっても玄関前に立つと家の中からうるさいくらいの鳴き声が聞こえたし、料理しようとすればお勝手まで着いてきて机の上に乗って、たまに構えと手を出して鳴いていた。ふてぶてしい顔で。

 

ずっと友達はごく少数だと言って来たけど、飲みたいと思えば人に困ったことはないしかなり恵まれていた環境にいたんだな。飲み友達くらい欲しいなとふと思ったりしたし飲みに行こうよと声をかけてくれる人もいるし、そうしたりしたけど、良い子たちなんだけど、ど、ど。

 

例えばロール式の燃えるゴミ袋を取ろうとしてゴミ袋がお勝手に縦横無尽に駆け回ったり、生姜を擦り下ろしていて中指の第一関節も一緒に擦り下ろして思った以上に血が出てきてしまったとき、本当に本当に理解の範疇を越えまくるくらいの寂しさが私のことを襲う。なんでか意味わからんくらいに襲われる。しばらく動けなくなる。それくらい謎にダメージを喰らう。ひとりでいるのなんて慣れているはずなのに、自分でなぜそこまで…と思う程だ。でも、考えてみてよ。素足で立ってるだけで足先の感覚がなくなる程に寒いお勝手で燃えるゴミ袋が散乱してみ。中指の第一関節ガッツリ擦り下ろしてみ。しかもひとりぼっちだ。今までは猫に話しかけていたのだ。寂しい。すごく寂しい。ツイッターにも書いたがファービを買うか、マジで悩んでいる。ファービー。君なら私の寂しさを癒してくれるんかい。ファービー…。

 

地元の人はわざわざ諏訪湖を眺めに行ったりしないらしい。そもそも車社会だから「目的なく散歩をする」はおろか用がある目的地まで歩くこともなかなかしない。歩いてる人って学生くらいしかいない。めめりもさんはすこし遠回りしても諏訪湖畔で酒を飲むのが好きだ。家でサンドイッチを作って湖畔まで歩いて行ってお昼を食べることもある。そんなことをしている人は周りを見てもいないんだけど。

諏訪湖を見たいと思ったら、寒いからやめよとかあんまり思わない。道路が凍ると、あまり出歩かないけど。でもだって、山に囲まれた中にあるでっかい湖なんて意味わからなくてすごく良いんだよね。

 

昔から寒いのが嫌いだったんだろうけどぜんぶ景色に救われていたんだろうな。暑いのも嫌いだったけど。寂しいとかどうのこうの思いながらも一年、何事もなく。平和に。生きて来れたな。冬、寒すぎて死ぬかと思ったけど。死ななかったし。冬の、夕方の。美しい空の色は、すごいよ、ミントグリーンになる空なんてある?

 

幼少期から、寒いのがすげー嫌いだった私でもひと冬越せたし。人間何処でも生きていけるんよな。猫がいないのは寂しいけど、死なないんやな。ファービーは欲しいけど。

 

また春が来るし、山菜をめちゃくちゃ食べてたら夏が来るんやろ。気づいたら、冬になっとるんやろな。私はこの町が好きだよ。

 

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