顛末

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小さい頃から「明るくて健康なだけが取り柄」みたいな人間だったはずなんだけど気付いたらそれらをまるごと落っことして生きてきたみたい。とりあえずたくさん笑ってとりあえず何処か悪くても笑って、立ってられないくらいになったら寝て起きてまた笑うみたいな生き方になっていた。死ぬまで生きる、それだけで、そうやって。

 東京に行くつもりだったのが長野に来て、本当に明るくて健康なだけが取り柄の私を取り戻したとなんだかぼんやり思った。無理をしないでたくさん笑って、人の言葉に深読みをしないで済んで、本当に本当に穏やかな暮らしをしている。もういつぶりだったかぜんぜん思い出せないくらい私は無防備に生きている。

 

毎日アホほど笑って生きていられることのありがたさよ。「この家はあなたが来て明るくなったよ」と何度も言ってもらえて、ここに来るために生きてきたのだなあと思えるし、みんなそういう場所にどうか落ち着いて欲しいと願う。きっとそういう場所は誰にもあるんだと思う、私は落としてきたのだと思っていたけどそうじゃなかったし、どうか、どうか。

 

「夏の諏訪湖は汚いよ」とみんな言ったけど私にとってはすごく綺麗だった、きらきらして全部、素晴らしくてさ、広い空も何処を見てもそびえる山も、すげー綺麗。ほんのすこしだけあった夏と秋のあいだの夕方には空がパステルカラーですごい。毎日ぜんぶ素晴らしいなと思えるのは景色のせいだけでも、環境のせいだけでも、たぶんない。

 両親が新婚旅行に来た長野に嫁に来て、思いも寄らず親孝行できたかもしれないと思う。私が心から笑って、それでみんな幸せで、みんなが笑って、私も幸せで、これ以上のもんないでしょう。実は死んでいるのでは?と定期的に思うくらい幸せなんだけど生きてて、私はこれを大事にしながらまた、死ぬまで生きていくんだな。生きてく。