咀嚼

バス走る


色が消えるようだ。
何もかもが重たいのだ。モノクロになった途端全ては重量を持つ。そんなものは要らなくて私は鮮やかでガシガシ色づいたものが大好きだ。気づいたら色なんてカスカスになくなっていて私は途方に暮れる。私の作り上げた「素晴らしい世界とはなんだったのであろうか」。

てのひらを見つめても血色の悪い細長い指があるだけだ。それはずっと変わらない。

藍色や群青が好きなので陽の暮れるときの空が好きだ、黒ではなくて青いところが好きでそれを「ほら群青いろ」と誰かに言えることは素晴らしいけれど私がいま求めていることはきっとそれではない。

「ほら群青いろ」
と言えることは確かに素晴らしい。最高。一生言いたい。
でもいまの私に必要なのはそれを言わなくてもきちんと立てることだ。

自殺未遂を何度かやって死にかけたり他人に殴られて死にかけたりした私が最終的に「生きるんだ」と掲げて、「死ぬまで生きる」を毎年の目標にして、そこまで努力しないと生きられなくて、そうやってまで必死で生きてきた(必死にならないと生きられない)のにいま、それに不信感を抱いている。というか単純に生きるんだという気持ちがぺらぺらになっている。もともと持たない気持ちと、何処まで寄り添えばいいかわからなくなっている。

なんだかごちゃごちゃ言うのもしゃーーーーしいので簡単に言うと割と死にたいんだけど、そこで自殺しないので私は成長している。二十八歳。
二十八歳で死にたいとかなんとか言ってるとゴチャゴチャ言われそうだけどほら論点そこじゃないわけよな。違うよな。

私の「死にたい」は何よりも本気だし何よりもナチュラルな「死にたい」である。ごはん食べたいとかお酒飲みたいみたいな「死にたい」である。
本当にごはんを食べるとかお酒を飲むみたいに私は死ねるので、そこのバランスが難しい。私は、死なない努力をしている。

死なない努力を、ひとりで作り上げる努力をしている。生きるということはなんとも難しい。本当に難しい。

とりあえず私はかとうみさとちゃんが福岡に来て一緒に糸島に行くことを一番の楽しみにしている。それを食べて生きる。よく噛んで、飲み込むことにする。