じいちゃんの一周忌だった話

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これは八月の話である。

 

父方の祖父が亡くなって一年経った。あれがもう一年前だということがにわかに信じがたい。祖父が亡くなったのは朝方六時頃で、私は出勤中に母からの電話でその報告を受けたのだった。

 

倒れたと聞いてはいたが、以前も一度脳溢血で倒れた後に回復していたのでなんとなくそれが死に直結する頭がなかった。まさかそのまま目覚めないなんてこと一切思わなかった。

 

通夜、葬式の時にはとにかくたくさんの人が集まり、祖父がどんな仕事をしていたかとか、どれだけ人に愛されていたかまったく知らなかったことに気づく。

祖父は私達が小さな頃からカメラを常に持ち歩き、賞に出したり賞を取ったりなどを繰り返していた。私達孫からしたら完全に「祖父といえばカメラ」なのであった。

聞くと祖父は定年を迎えると突然カメラを購入し写真を始めたという。誰にもカメラをやりたいなど漏らしたことはなかったそうで、皆が驚いたそうだ。祖父の中では仕事を終えた後はカメラをやると決めていたのだろうと思う。定年後二十数年、祖父は写真を撮り続けた。

祖父の手の中には常にキヤノンのデジタル一眼があった。

 

通夜の日は従兄弟と深夜までいろんな話をしながら呑んだのをきっと私は忘れないだろう。従兄弟とは成人してから会ったのは初めてだった。

叔父さんが祖父の傍で「親父と最後に呑んでんだよ。」と言いながら、思い出話を聞かせてくれて、三人で伊佐美を呑みながら静かに夜は更けた。

 

葬式の日は馬鹿みたいな快晴で、皆あまり口を開かなかった。ただただ泣き疲れて空を眺めるだけで精一杯だったのだ。

 

あれから一年経ち一周忌の日もまた快晴で、私は家に居る時間のほとんどを祖父の書斎の椅子に座って過ごした。祖父の本棚を眺めたり、写真を眺めたりしていた。

あの日よりは落ち着いたものの未だに信じられないという気持ちが大きく、ふと祖父が顔を出す気がする。

 

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私が祖父の書斎でぼんやりしていると、祖母が私に指輪をあげると宝石箱を開けてくれた。私が選んだ指輪は祖父が昔海外旅行へ行った際に土産で買って来てくれたものだそうだ。私はその場で指輪を着けて、着けたまま福岡へ帰る。

 

じいちゃん、私はひとりだけの女の子なのに出来が悪くて容量も悪くて、やりたいことひとつすらちゃんと出来なくて、じいちゃんと最後に交わした会話も思い出せないよ。

それでも小さいころからずっとずっと言われて来た言葉を大事にしたい。

 

文章を書きなさい。

いろんなところへ行きなさい。

絵を描きなさい。

おまえは才能があるのだから。

 

私は文章を書いていくよ。いろんなところに行きたいし、絵も描き続ける。

短歌も詠むし、写真だって撮る。

じいちゃんがいないから私が写真を撮る係やっとるよ。現像して叔父さん達に配ったよ。

他にもやりたいことはたくさんある。

たくさんのことを大事にして生きていくよ。

 

じいちゃんが火葬された日の帰りのバスから見たあの空は一生忘れないだろう。あの空をじいちゃんに見せてあげたかったな。

 

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