顛末

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小さい頃から「明るくて健康なだけが取り柄」みたいな人間だったはずなんだけど気付いたらそれらをまるごと落っことして生きてきたみたい。とりあえずたくさん笑ってとりあえず何処か悪くても笑って、立ってられないくらいになったら寝て起きてまた笑うみたいな生き方になっていた。死ぬまで生きる、それだけで、そうやって。

 東京に行くつもりだったのが長野に来て、本当に明るくて健康なだけが取り柄の私を取り戻したとなんだかぼんやり思った。無理をしないでたくさん笑って、人の言葉に深読みをしないで済んで、本当に本当に穏やかな暮らしをしている。もういつぶりだったかぜんぜん思い出せないくらい私は無防備に生きている。

 

毎日アホほど笑って生きていられることのありがたさよ。「この家はあなたが来て明るくなったよ」と何度も言ってもらえて、ここに来るために生きてきたのだなあと思えるし、みんなそういう場所にどうか落ち着いて欲しいと願う。きっとそういう場所は誰にもあるんだと思う、私は落としてきたのだと思っていたけどそうじゃなかったし、どうか、どうか。

 

「夏の諏訪湖は汚いよ」とみんな言ったけど私にとってはすごく綺麗だった、きらきらして全部、素晴らしくてさ、広い空も何処を見てもそびえる山も、すげー綺麗。ほんのすこしだけあった夏と秋のあいだの夕方には空がパステルカラーですごい。毎日ぜんぶ素晴らしいなと思えるのは景色のせいだけでも、環境のせいだけでも、たぶんない。

 両親が新婚旅行に来た長野に嫁に来て、思いも寄らず親孝行できたかもしれないと思う。私が心から笑って、それでみんな幸せで、みんなが笑って、私も幸せで、これ以上のもんないでしょう。実は死んでいるのでは?と定期的に思うくらい幸せなんだけど生きてて、私はこれを大事にしながらまた、死ぬまで生きていくんだな。生きてく。

マジで来るのか大寒波

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大寒波。西日本に40年ぶりの大寒波が訪れるだって。外出しないようにして3日分の食料と水を確保しておくこと、とかニュースで言ってるらしいんだけど私は普通に仕事です。
天気予報を見ると氷点下で雪、なんなのそれ楽しい…としか思えないので雪国のひとに怒られそうです。だって楽しいじゃん…楽しい…。

めりもさんは絶対に滑って転けそうなのでそれだけに注意しますね、ああ、雪、じゃんじゃん降って欲しいな。

「おでん」を作りました

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福岡はきょう日中も十度前後の気温で本当に寒すぎるのでおでんを作りました。

おでん。九州ではあご出汁(飛魚を干した焼きあごでとった出汁)を使うことが多く、私もいつもあご出汁を使うのだけど急に思い立ったので今回は昆布出汁で。※焼きあごは一晩水に浸けておいて使うのが基本。

 

おでんね。めめりもさんはおでん大好きです。うちで作る場合はだいたい具材を最低限まで絞ります。定番なのは大根、たまご、牛筋のみ。たまに厚揚げとかこんにゃくを入れたり。練り物を入れると収集がつかなくなるのであまり入れない。

 

きょうは大根、たまご、スペアリブで作りました。近所に牛筋が売っていないんだよな。スペアリブは鹿児島のおでんにはよく入ってます。ばあちゃんが作るおでんにはスペアリブが入っているんだよ。

 

土鍋じゃなくて、ストウブに昆布出汁をとって大根とたまごとスペアリブをぶち込んだところでめめりもさんは思いました。

こいつらおでんなのか!?おでんの定義とは、おでんとはいったいなんなんだろう...

早速文明の利器インターネットで調べると 

出汁醤油などで味付けしたつゆに、大根ちくわコンニャクゆで卵厚揚げ豆腐など、さまざまなおでん種(おでんだね: 単に(たね)とも言う)を入れて煮込んだ料理である。おでん種、つけだれの種類は地域や家庭によって異なる。(おでん - Wikipedia

とのこと。

ああ、べつにこの鍋でこの出汁でこの具材が入ってるからおでんというものでもないのね。ストウブの中でくつくついってる大根とたまごとスペアリブを眺めながら思う。安心しろ、お前らは立派なおでんだ。

 

寒い日におでんを仕込んで、くつくついうのを眺めるのは最高に幸せだな。めめりもさんは煮込み料理が大好きなの。仕込んでくつくついわせてる時間がなにより好き。

 

さて。

芋焼酎のお湯割りと一緒にいただきます。幸福の権化かよ。

 

...あれ。からしがないぞ!からしが!明日買ってこよ。

女の子がうちを出て行きます

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ふたりで沖縄に行ったときのディナー。ひどい。

 

うちに住んでる女の子がうちを出て行きます。

女の子は今年の一月一日からうちに住んでいる。七月から南の島へ自分探しの旅へ出ていた。

いま、福岡に帰ってきているけど十二月にまた島へ戻るので、その前に荷物を実家へ戻すとのこと。私が東京へ行くことを決めたからです。

 

彼女は三十歳。私が彼女と暮らしていることで不自由そうだ!大変そうだ!と言う人が多かった。まあ、ひとりで暮らしていても不自由はあるし大変なことも勿論あるし、彼女と暮らすことにして後悔した、なんてことはなかったよ。

 

彼女については前〜〜〜の記事でも一度書いたけど、いろいろと大変な境遇で、さらに酷いことが彼女に起こったときに私は彼女をうちへ迎え入れた。彼女には行く場所がなくて、それにより精神的にも閉じ込められていたので、どうにもできないのならうちへおいでと言った。

 

彼女がうちに来てから二度、一緒に沖縄へ行った。もともとどちらも私がひとりで行こうかと計画していたものに彼女が「めめちゃんが行くなら私も行く!」と付いてきたのだけど、どちらも楽しい旅行だった。ダイビングのライセンスを取り、美味しいもの食べ、美味しいお酒を呑んだ。ライセンスを取るときなんか、時間がなく予習してなさすぎて沖縄のドミトリーで夜中に半泣きで問題集を解いた。アホである。でも彼女といると大体のことがアホみたいなことになるので、つい笑ってしまう。

 

彼女がここを出たらもうなかなか会うことはないんだな。私も彼女も、そういう人間なので余程のことがないと会わないだろう。一緒に暮らしていても、好き好きにしていたので離れるとますますである。そうなったらそうなったでなんてことないのだろうけど、どうしても感傷的になる。

 

着々と出て行く準備をしている。

私が仕事をしている間に彼女は荷物をまとめ始めていて、部屋が少しずつすっきりとして行っている。それに合わせるわけじゃあないけど私も部屋を片付け始めていて部屋がだんだん殺風景になっている。私はまだ出ていかないけど、今日一日休みで片付けたりなんだりしていたら少しさみしくなった。

 

最初はDVの元彼と一緒に借りた部屋で、元恋人とも一緒に住んで、女の子が住んで、出て行く。当然、最初からいるのは私だけで、ずっとこの部屋と共にいるのは私だけだ。私はこの部屋が好きで、考えたら五年くらい住んでいる。そりゃ好きだよ。古くて、冬は寒くて、夏は暑いしめちゃくちゃゴキブリが出るけど好きなんだよなー。2LDKのこの部屋にたくさんのものが詰まっている。みんなここを捨てて出て行くのだ。そうじゃないんだけど、そんな思いが湧き上がる。私が愛でたこの部屋を、私も捨てて出て行くけど。

 

なんとなくせつなくなった日。十二月からまた私はこの部屋にひとりで、もしかしたら新たに女の子を迎え入れるかもしれない。まだわからない。どちらにしろ私はこの部屋を出て行く。あんまりに急に上京を決めたのであまり現実味がないけど、私もこの部屋を出るんだな。ここに住んでるあいだずっと私は、できる限りここで暮らしてここで幸せになると思っていたのでした。叶わなかったけど、楽しかったよ。

 

 

 

memerimomo.hatenablog.com

 

さよなら恋人くん

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恋人と別れて一年が経っていた。

いつも、みなさんご存知恋人くんと書くのだけど、一年も経つのだから恋人のこと知らない人がきっとたくさんいるんだよな。そうだよな。

めりもさんは恋人しゅきしゅきアカウントでした。

三年程、一緒に暮らしていたけど、それに終止符を打ったのが去年の十月末(だったと思う)。ふと気づくともう十一月も後半で、彼の誕生日にすら気づかなかった。

 

あっという間に過ぎていくなと思っていたのは別れた三ヶ月後くらいまで。あっという間に過ぎて行くわりに時間が止まっているようだった。

時間は過ぎないと思っていても過ぎていくものだね。不思議だね、当たり前なんだけどさ。

 

振り返ってみても私が彼にしてもらったことなんてほとんど無くて、なにも思い出せないに等しいんだけど、ああ好きだったなとだけ思う。本当にそれだけ。なにが好きだったのかと問われるとまったく答えが浮かばない。でも、好きってそんなもんなんだと思う。

 

まとめてしまうと最低な人だったんだけど、それでも好きだったんだよなあ、せっせと毎朝お弁当を作っていた私、健気すぎかよ。お弁当作るの楽しかったな。

 

自分から別れを切り出したし、別れたことに後悔とか、未練とかは一切無いんだけど、最後にうちを出て行く後ろ姿とかは多分一生忘れられなくて、心の中に残っている。一緒にいるだけで楽しかったこととか、それが全部だったこととか、ひとりの夜は泣きながらキャンバスに絵の具ぶちまけていたこととか。

 

私と離れたくないと言って泣いた彼が、今現在生きているかどうかもわからず(きっとあれは長生きするだろうな)、あれだけ近くにいた人の欠片も今は残っていないんだな。

 

あんなに最低な人だったけど、彼と離別したとき、私の中の激情は全部死んだ。もう二度と湧き上がることは無いだろう。

 

先日思い立って部屋を片付けたとき彼の仕事道具や鞄などが出てきたので全て捨てた。燃えるゴミ袋四袋ぶんのゴミを捨てた。見えないところにたくさん残っていたものを捨てた。もうなにも残っていないことを祈るよ。あんなこと何度もするもんじゃない。

 

あなたが居なくなって私は沖縄へ二度行って海に潜り、仙台へ行って仕事をし、東京へ四度行って友達と存分に遊んだ。ブログを作り、写真を撮り、好きなことをしている。美味しいものを食べ、美味しいものを呑み、楽しくやっている。

 

過ぎて行かないように感じた時間もどんどん過ぎて行く。いまこうしている間にも過ぎて行く。そうやって一年経った、ことにすら気づかないまでになった。

 

もう二度と会うことはないだろうし言葉を交わすこともない。笑い合ったことだけ、忘れないだけで、ただそれだけ。

 

一年経ったいま、もう一度言おう。さよなら恋人くん。

私の中の激情を殺した最低な人。

じいちゃんの一周忌だった話

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これは八月の話である。

 

父方の祖父が亡くなって一年経った。あれがもう一年前だということがにわかに信じがたい。祖父が亡くなったのは朝方六時頃で、私は出勤中に母からの電話でその報告を受けたのだった。

 

倒れたと聞いてはいたが、以前も一度脳溢血で倒れた後に回復していたのでなんとなくそれが死に直結する頭がなかった。まさかそのまま目覚めないなんてこと一切思わなかった。

 

通夜、葬式の時にはとにかくたくさんの人が集まり、祖父がどんな仕事をしていたかとか、どれだけ人に愛されていたかまったく知らなかったことに気づく。

祖父は私達が小さな頃からカメラを常に持ち歩き、賞に出したり賞を取ったりなどを繰り返していた。私達孫からしたら完全に「祖父といえばカメラ」なのであった。

聞くと祖父は定年を迎えると突然カメラを購入し写真を始めたという。誰にもカメラをやりたいなど漏らしたことはなかったそうで、皆が驚いたそうだ。祖父の中では仕事を終えた後はカメラをやると決めていたのだろうと思う。定年後二十数年、祖父は写真を撮り続けた。

祖父の手の中には常にキヤノンのデジタル一眼があった。

 

通夜の日は従兄弟と深夜までいろんな話をしながら呑んだのをきっと私は忘れないだろう。従兄弟とは成人してから会ったのは初めてだった。

叔父さんが祖父の傍で「親父と最後に呑んでんだよ。」と言いながら、思い出話を聞かせてくれて、三人で伊佐美を呑みながら静かに夜は更けた。

 

葬式の日は馬鹿みたいな快晴で、皆あまり口を開かなかった。ただただ泣き疲れて空を眺めるだけで精一杯だったのだ。

 

あれから一年経ち一周忌の日もまた快晴で、私は家に居る時間のほとんどを祖父の書斎の椅子に座って過ごした。祖父の本棚を眺めたり、写真を眺めたりしていた。

あの日よりは落ち着いたものの未だに信じられないという気持ちが大きく、ふと祖父が顔を出す気がする。

 

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私が祖父の書斎でぼんやりしていると、祖母が私に指輪をあげると宝石箱を開けてくれた。私が選んだ指輪は祖父が昔海外旅行へ行った際に土産で買って来てくれたものだそうだ。私はその場で指輪を着けて、着けたまま福岡へ帰る。

 

じいちゃん、私はひとりだけの女の子なのに出来が悪くて容量も悪くて、やりたいことひとつすらちゃんと出来なくて、じいちゃんと最後に交わした会話も思い出せないよ。

それでも小さいころからずっとずっと言われて来た言葉を大事にしたい。

 

文章を書きなさい。

いろんなところへ行きなさい。

絵を描きなさい。

おまえは才能があるのだから。

 

私は文章を書いていくよ。いろんなところに行きたいし、絵も描き続ける。

短歌も詠むし、写真だって撮る。

じいちゃんがいないから私が写真を撮る係やっとるよ。現像して叔父さん達に配ったよ。

他にもやりたいことはたくさんある。

たくさんのことを大事にして生きていくよ。

 

じいちゃんが火葬された日の帰りのバスから見たあの空は一生忘れないだろう。あの空をじいちゃんに見せてあげたかったな。

 

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十月まとめ

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そうだそうだ十月が終わったのだと思って「記事を書く」をクリックしてしまった。きょうは早く寝ようと思っていたのに、只今午前四時である。明日も仕事。…もうええんや。なるようになるんや(緑茶割りグビグビ)。

 

DENGEKIを観に熊本へ行った

くまもと若手演劇バトルDENGEKIを観に行った。演劇を観るのは数年ぶり。制限時間二十分というキワキワなタイムで繰り広げられるひとつひとつの物語、とても楽しかった。目的は演劇ユニット「」(かぎかっこ)だったのだけど、他の劇団さんも観れてよかったー!決勝も観に行きたかったな。黒亭のラーメンを食べ、熊本ホルモンで馬刺しと馬ホルモン煮込みを食べ美味しい米焼酎を飲むなどしてかなり充実した日帰り旅行になったのでした。楽しかったなあ。

 

もつ鍋パーリナイ

めりも家でもつ鍋をやった。最高のもつ鍋である。もつ鍋のあとはみんなめめりもカレーを食べていた。もつ鍋のあとにカレーって。最高だった。

 

閉め出し事件

昼間の労働ののち夜間の労働を経ためめりもさんが帰宅すると家の鍵が閉まっており家の中にいる友人は寝落ちていた。初めてファミレス(ジョイフル!)で仮眠をし、朝を迎えた。きっとこの日のことは忘れないだろう。一生ネチネチ言います。いい思い出。

 

また東京へ遊びに行った

四泊五日、今までの中で恐らく最長。新宿でバーベキューをしたり、バイバイコヨーテのライブに行ったり、深夜に映画を観に行ったり、海老と自撮りをしたり、神谷バーで知らんおじいちゃんと飲んだりもんじゃを食べたりとかなり充実していた。各位遊んでくれてありがとう!すげー楽しかった。いつものようにかとうみさとちゃん宅に泊まったのだけどみさとちゃん多忙によりみさとちゃんと一緒にいた時間はトータルで八時間くらいしかなかったのがめちゃくちゃ心残り。

 

福岡ディムオフ会

BSディムさんと童話くんのオフ会に二度めの参加。今回は二日間参加させて頂きました、今回も楽しかったー!カラオケでは全員が椎名林檎攻めという椎名林檎戦争が巻き起こったよ。次回もまたぜひ参加させて頂きたいです。てか行く!断られても行く!来なくていいとか言わないで!ひーん!ああ楽しかったな。

 

短歌アカウント

めりもさんは元々短歌クラスタ。短歌アカウントを始動させました。興味あればぜひ。短歌めめりも

 

こう振り返ると十月は好い月だったなあ。ずっとこんなふうに楽しくやっていきたいな。

さて、さすがにそろそろ寝るけんね。絶対に寝るけんね。

(緑茶割りグビグビ)

 

おやすみなさい。